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大正後期から昭和40年代頃までの僅かな期間に全国で作られた貴重な農民美術や木片(こっぱ)人形。
大正8年、欧州留学から帰った洋画家の山本鼎氏が、ヨーロッパでの農民の暮らしの見聞から、従来空費されていた農閑期を活かして「簡易な娯しみ多い創造的労働」を試み、「日本全国の農民の手から産業美術の一大種族を引き出そう」とした。副業によって農民の暮らしの向上を図った実践的な主張として農民美術運動を提唱し、信州に設置した日本農民美術研究所では男女共学で練習生に指導が行われるようになる。それに伴う製作組合が各地に組織され、その後の講演会などの活動よって次第に農民美術が一般に受け入れられるようになったが、国庫補助の打切り等による経済状況の悪化や戦争の影響などでこの運動は衰退した。しかし時代を経た今現在、農民美術が再度注目されている。
中でも登山人形は、明治から大正にかけて登山人口の増加に伴い、全国に登山道や宿泊施設が作られた際に、日本アルプスへの登山口・長野県松本町(現在の松本市)で、登山土産として、上高地旅館経営者で画家の井口良一氏・松本町の彫刻師・清水湧水(わくみ)氏により大正時代に考案されたのが始まりです。清水氏は、後に日本アルプス農民美術生産組合を設立、松本白樺工芸品を全国展開しました。
生産は昭和戦前から戦後、それから昭和40年代頃まで作られたものがほとんどで、山付は、戦後からの特徴です。当時、彫刻師や大工、画家や教員の人々の副業で生産されており、デザイン、技術共に素晴らしい作品です。















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