説明
- この商品は現在も製作されているため、お届けする品を撮影して掲載しているわけではございません。
- 職人によって製作されるため、サイズ、形状、絵付けや色味が個々に異なります。
- 製品の特性上、サイズ・形状(ゆがみ)・色合い・釉薬のかかり(ムラ・垂れた・表面の凹凸)等に相違があります。また、表面にピンホールと呼ばれる小さな穴や黒い点などがみられる場合もあります。
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伊万里焼の歴史:
佐賀藩(鍋島藩)の藩祖鍋島直茂が豊臣秀吉の朝鮮出兵(1592年~1598年)に参加したことをきっかけに、朝鮮から多くの陶工が生活のため佐賀へ渡り、これらの陶工によって有田における磁器製造が開始されと言われています。1637年に焼き物産業推進方針を決めた鍋島藩により窯場は13箇所に整理され、渡来人陶工を中心とした本格的な有田焼産業が発達しました。
1610年代から1630年代頃までの初期製品を陶磁史では「初期伊万里」と称しており、この頃の製品は、白磁に青一色で模様を表した染付磁器が主で、絵付けの前に素焼を行わない「生掛け」技法を用いている点が特色でした。当時の朝鮮半島の磁器は、器面に文様のない白磁であったので、呉須(コバルトを主原料とする絵具)で文様を描く染付の技法や意匠は中国由来(中国出身の陶工作)のものであると考えられています。
1640年代には有田西部の山辺田窯などで色絵磁器の生産が創始され、国内向けの大皿などの色絵磁器製品が生産されました。これらは、加賀(石川県)の九谷が産地であると長年考えられていたことから「古九谷」と称され、現代の陶磁史では「古九谷様式」あるいは「初期色絵」と称されています。
1640年頃からは鍋島藩が将軍家・諸大名などへの贈答用高級磁器をもっぱら製造する藩窯が活動を開始し、この藩窯製品を今日、「鍋島様式」あるいは「鍋島焼」と呼んでいます。
1690年代には染付の素地に赤、金などを多用した絵付を施した製品が作られるようになった。これを「古伊万里金襴手」と称し、この種の様式のものがヨーロッパ向けの輸出品となりました。古伊万里はヨーロッパの王侯貴族達に愛され、今でもオールドイマリ(Old Imari)として世界中に熱烈なコレクターが存在しています。
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